こんにちは、三十路パパです。
先日、自宅で「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観ました。
映画を見ながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感情が込み上げてきて、気づけば涙が止まらなくなっていました。観終わってからもしばらく余韻が抜けず、「この気持ちは言葉にして残しておきたい」と思い、こうして記事を書くことにしました。

「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」はどんな作品?
物語は、現代に生きる主人公がある出来事をきっかけに、戦時中へと迷い込んでしまうことから始まります。
その時代で出会う青年との関わりの中で、「平和な日常」がどれほど貴重で、どれほど当たり前ではないのかを強く実感させられます。
恋愛特有の切なさもありながら、「今という時代をどう生きていくか」という問いが静かに心へ染み込んでくる作品でした。
ふとした表情や言葉が胸の奥に刺さる。不思議な余韻を持つ映画だと感じました。
※ネタバレしない範囲で書いています。
当たり前の生活が、どれほど恵まれたものなのか
普段の生活では、電気がつくのも、家族と食卓を囲めるのも、夜に安心して眠れるのも当たり前のように感じています。
でも映画の世界では、その「当たり前」がまったく当たり前ではなかった時代が描かれています。
私たちは自由に好きなものを選び、行きたい場所へ行き、会いたい人に会える。
それがどれほど尊く、奇跡のような毎日なのか。
ふだん忘れてしまっていることを、映画がそっと思い出させてくれました。
先人たちの覚悟に胸が熱くなった
作品を観ながら込み上げてきたのは、
「今の私たちの生活は、多くの人の願いや覚悟の上に成り立っている」
という思いでした。
未来を信じた人、家族の幸せを願った人、誰かを守ろうとした人。
その一つひとつの想いが積み重なって、今の平和がある。
映画を通してその片鱗に触れるたびに、自然と涙がにじんでいました。
知覧特攻平和会館に行った記憶
この映画を観て胸に刺さったのは、過去の体験が深く関係していると気づきました。
約7年前、仕事の都合で鹿児島県に行った際、現地の方々から「ここに来たなら一度は行くべき」と教えてもらい、知覧特攻平和会館を訪れました。
当時20代前半だった私は、特攻隊についても深く知らないまま、ただ紹介されたから行ってみようというくらいの気持ちでした。
しかし、館内に入って展示を見進めるうちに、言葉を失うほどの重さを感じました。
私よりも若い特攻隊の方々が家族へ宛てた手紙には、
「本当は生き続けたかった」
「家族の幸せを願っている」
そんな切実で正直な想いが込められていました。
その文字から伝わる温度は、今でも鮮明に覚えています。
“覚悟”という言葉で片づけられない、人としての感情。
あの日受け取った想いが、ずっと自分の中に残っていたからこそ、今回の映画がより深く胸に刺さったのだと思います。
まだ知覧特攻平和会館に訪れたことがない方は、ぜひ一度足を運んでみてほしいです。
あの場所に立つと、今の時代がどれだけ恵まれているのか、そして先人たちがどんな未来を願ったのかを“肌で”感じることができます。
館内では、ぜひ一人の時間を大切にしてほしいと思います。心の中でじっくり向き合う時間が、必ず何かを残してくれます。
少し立ち止まることで見えてくるもの
30代になってから、こうした作品や場所に触れると、以前とは違った受け止め方ができるようになったと感じます。
知らないままだったことを知ることで、生き方が少しだけ変わっていく。
学ぶことは単なる情報集めではなく、自分の心の輪郭を整えてくれるものなんだと実感しました。
今回の映画と知覧での記憶は、まさに“学び直し”の大切さを思い出させてくれる経験でした。
それじゃ、また!
三十路パパ

コメント